【訃報】セルジオメンデス氏逝去で振り返るブラジル66とは何だったのか!?

【訃報】セルジオメンデス氏逝去で振り返るブラジル66とは何だったのか!?

巨星墜つ・・・。また一人ブラジルの偉大な作曲家がお亡くなりになられました。

今朝のグッドBGMは「セルジオメンデス氏逝去で振り返るブラジル66」と題してお送りいたします。

マシュケナダですね。とにかくマシュケナダですよね!
(´;ω;`)ブワッ

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セルジオ・メンデス&ブラジル’66って誰?

2024年9月5日。ブラジルの大御所セルジオ・メンデス氏の訃報が流れました。また一人偉大な音楽家が去っていきました。ご冥福をお祈りいたします。

とは言っても知らない人もいるかもしれません。が、この曲は聴いたことがあるのでは?

Mas que nada

これですね~♪最高です!で、この曲が入ったアルバムがセルジオ・メンデス&ブラジル’66のファーストアルバムってことみたいですね。

じゃぁブラジル’66って何よ?ってことなんですが

1966年、セルジオ・メンデス&ブラジル’66としてのファースト・アルバム『Herb Alpert Presents Sergio Mendes & Brasil ’66』を発表。
シングルカットされた「マシュ・ケ・ナダ」はビルボード・Hot 100で47位、イージーリスニングチャートで4位を記録。日本を含む世界の多くの国で有名になった。
[wiki]

ということで、セルジオ・メンデス氏率いるバンド的な?そんなやつですねー。66年だからブラジル66なんですかね?

しかしその後「セルジオ・メンデス&ザ・ニューブラジル’77」って名前に変わって、どうも88もあるらしいのですが、そこはちょっともうわからなかったです。
(o´∀`人)ゴメンネ

セルジオ・メンデス?

詳しくは知らなかったので調べてみましたよー。

幼少の頃からリオ市内の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を身に着ける。しかし、その後はクラシックの道へと進まなかった。
1950年代後半にジャズ、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの影響を受けボサノヴァに移行し、彼らを誘って国内外で活躍するようになる。
1962年に「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成。1965年にはアメリカに活動の場を移し、ジョビンやジルベルトとともに、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役となった。
[wiki]

ってことらしいんですが、ジョビンやジルベルトで思い浮かべるいわゆる「ボサノヴァ」と比べるともっとアグレッシブな印象ですよね。

そんな静より動なイメージのセルジオ・メンデスですが、しっとり系もいけるみたいで、ビートルズのボサノバ風アレンジとかも有名です。

The Fool On The Hill

原曲はこちらですねビートルズ

The Fool On The Hill

赤盤だとこのあとミステリーツアーとかじゃなかってでしたっけ♪ちがったかな?

ほかの曲も聴いてみましょう~♪

Day Tripper

こちらもビートルズのカバー。やっぱり力強いイメージですね。

Sergio Mendes ft The Black Eyed Peas – Mais que nada

こちらはブラック・アイド・ピーズとのコラボですね。こんなこともやってたんですね。

セルジオ・メンデス&ブラジル’66まとめ

セルジオ・メンデス氏率いるブラジル’66ってバンドで、88くらいまであるらしいぞってことですね。

色々と名曲もあるようではありましたが、とりあえずマシュ・ケ・ナダが最高ってことだけは確かです!

きっとこれからも演奏され続けていくことでしょう。素晴らしい楽曲を残してくれて感謝です。

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